逮捕された会員がいる=危険な団体??
顕正会の中には行き過ぎた布教をして逮捕された人がいるらしい。やっぱり顕正会は危険な団体だ!
残念ながら顕正会員の中に逮捕されてしまった者がいるのは事実です。しかし、顕正会員の中に逮捕されてしまった者がいるからといって、そこから直ちに顕正会のことを「危険な団体」と決めつけることは適切でしょうか。
たとえば、あなたの通う学校の友達、あなたの会社の同僚が、何らかの事件を起こして逮捕されてしまったとします。そのことを理由に、あなたの学校や会社を「危険な学校」、「危険な会社」と決めつけることは適切でしょうか。
答えは「否」ですよね。事件の当事者はあくまでも個人であり、その個人が所属している団体、学校、会社ではありません。このことは誰にでもわかります。当事者をすり替えてはなりません。
家宅捜索された=事件の犯人??
けれど、顕正会員が逮捕された後、顕正会の会館が家宅捜索されたこともあったと聞いているぞ。それは顕正会も事件に関与していたからだ!
顕正会員が逮捕されたことで、顕正会の会館が家宅捜索されたことがあるのも事実です。とはいえ、警察は何か事件が発生すれば、少しでも事件に関係していそうな場所を手当たり次第、しらみつぶしに捜査していきます。家宅捜索もその一環に過ぎません。犯人との関係性が不明であるからこそ、それを明らかにできる材料があるかどうかを探すために家宅捜索をするのです。
そうすると、家宅捜索が入ったことを理由に「家宅捜査先がその事件に関与していたことが間違いない」という理屈は必ずしも成り立ちませんよね。だからこそ、家宅捜査が入ったことによって、むしろ「家宅捜査先が事件に何ら関与していなかったことが証明された」ということも世の中には数多くあるのです。
(参考)サイバー警察に家宅捜索を受けた際の体験談
実際、これまでに「顕正会が会員個人の事件に関与していたことが判明した」という報道は1件もありません。
顕正会のことを「多数の逮捕者を出す程の過激な行動が多く数々の罪を犯し、公安からもマークされている」、「公安当局からもマークされている危険なカルト教団」とインターネット上などで誹謗中傷した者たちに対し、東京地方裁判所は、それらは真実ではなく事実無根であり、顕正会の名誉を毀損するものであるとして、50万円もの損害賠償金の支払いを命じる判決を下しています(その詳細はこちらの記事を参照してください)。
驚異的な顕正会員による折伏の件数
まぁ確かにそう言えるかもしれないが、顕正会員が逮捕された事件が1件だけではなく10件近くもあると聞いている。随分と多いじゃないか!
顕正会員が逮捕されてしまった事件が10件近くあるといっても、その数は平成の約30年間全体での話であり、決して年間10件というわけではありません。しかも、逮捕された後に裁判にかけられて有罪判決になったという報道は1件も見当たりません。
あまりご存知でない方もいらっしゃるかもしれませんが、顕正会員による折伏(布教)の件数・規模は驚異的なものであり、ここ数年は毎年10万人近い者が入会しています。会員総数の増加状況は、こちらのグラフをご覧ください。
もちろん、入会する人よりも入会を拒む人の方がまだ多いです。仮に入会する人の割合を10人に1人とすると、顕正会員全員で1年間に約100万人に入会を勧めていることになります。平成の約30年間では・・・まぁどれだけ少なく見積もっても1000万人以上は折伏を受けているといえそうです。
それだけ大勢の人に入会を勧めていれば、中には仏法の話をされたことに驚いて警察に通報する相手もいるかもしれません。しかし、実際に警察が事件として扱ったのは平成の約30年間で10数件程度、割合にして約100万分の1件(0.0001%)です。
要するに、顕正会員の折伏で過去に事件として扱われたケースは「異例中の異例」といえます。にもかかわらず、何年も前にあった顕正会員の事件を殊更に取り上げて、顕正会のことを「危険な団体」と評価することがいかに不適切であるか、賢明な皆さんには理解していただけるものと思います。
それゆえに、東京地方裁判所はこれまでに挙げた事情などを考慮して、顕正会が「多数の逮捕者を出す程の過激な行動が多く数々の罪を犯し、公安からもマークされている団体」であるとか、「公安当局からもマークされている危険なカルト教団」だというのは真実ではなく、事実無根であるとの判決を下したのでしょう。
裁判所がそういう判決を下しているのなら、顕正会が「危険な団体」というのは間違い、「デマ」ということか・・・それなら、この「デマ」は何が原因で生まれたんだろう?
顕正会をデマで攻撃した「犯人」の正体
落ち着いて冷静に考えればすぐに「デマ」とわかる顕正会への誹謗中傷が、なぜ、ここまで広まってしまったのでしょうか。
答えはとても簡単、警察・マスコミを利用して誤った世論を形成した「犯人」がいるからです。これは「陰謀論」などではありません。その犯人自らが、顕正会に「暴力宗教団体、右翼団体のレッテルをはるために苦労しました」、「警察もふんだんに動かしました」などと世間に向けて白状しているのです。
その「犯人」は、創価学会の元顧問弁護士で学会の副理事長まで務め、ついには「闇の帝王」と呼ばれるに至った男、山崎正友です。当然、山崎正友の背後には池田大作がいました。あの有名な「日本共産党・宮本顕治宅盗聴事件」を計画・主導したのも山崎正友です。
元学会顧問弁護士・山崎正友の告白
山崎正友は、宗門(日蓮正宗)と創価学会が未だ一枚岩だった当時、「国立戒壇」の教義をめぐって対立していた顕正会(当時は「妙信講」という名称でした)に対し、「妙信講作戦」と呼ばれる破壊工作・謀略活動を事実上指揮する立場にありました。池田大作の寵愛を受けていたのです。
もっとも、後年、山崎正友は池田大作・創価学会と仲違いをしました。そして、山崎は「自身が加担した悪事を世間に公表する」と池田大作らに脅しをかけ、大金を要求するという恐喝事件を起こして刑務所に放り込まれました。そして、偏執狂とも言うべき山崎は、刑務所に入った後も週刊誌等に自らが池田大作から請け負った数々の悪事を暴露する記事を寄稿するなどして学会を攻撃し続けました。
その中に「諸君!」という雑誌に掲載された「昨日の師・池田大作への手紙」と題する山崎の記事があります。実は、山崎はこの記事の中で、顕正会を陥れて「暴力宗教団体」等のレッテルを張るために行った謀略を赤裸々に暴露しているのです。少し長いですが引用します。
敵対勢力を金で買収してひそかに破壊工作の謀略をしかけるところまで、創価学会は成長しました。もちろん、警察もふんだんに動かしました。一番印象に残っているのが、妙信講青年部による創価学会本部なぐりこみ事件といわれた事件でした。妙信講に対して暴力宗教団体、右翼団体のレッテルをはるために苦労しました。たしか昭和四十九年十月だったと思いますが、“明日、妙信講の青年が創価学会本部に押しかけ、無理やりに構内に押し入って抗議文を手渡す予定”という情報が、妙信講に潜入していたスパイから伝えられました。早速、警察と相談です。その結果、“乱入させないように警備によって阻止する”というのではなくて“乱入させておいて逮捕する”という方針を決めたのです。
当日、機動隊は、少し離れた神宮外苑に待機し、学会本部周辺は、私服の刑事がいるだけ。正門は〆切り、構内は、案内所に二、三人警備員がいるだけであとは全員姿を消して待ちかまえていました。そこに、妙信講の青年部は何も知らずに百名ばかり宣伝カーを先頭に押しかけてきました。
しばらくまわりの路上で気勢をあげていましたが、やがて数人がへいを乗りこえ、門扉のかんぬきをはずして開き、十数名が中にかけこんで建物の入り口に走り寄りました。
実は、学会側はこの機会にただ逮捕させるというだけでなく暴力で妙信講青年部をコテンパンにやっつけてやろうと手ぐすねをひいていたのです。そのために、三百万男子青年部からえりすぐった猛者や本部職員数十名が木刀や折りたたみ式警棒、角材、消火器などを用意して建物の中や、青年会館、聖教新聞社などに待機しました。又、数名の弁護士やカメラマンを要所に配しました。
十数人がかけこんで、建物の入口にたどりついたとき、中から学会青年部がおどりだしておそいかかりました。同時に、門扉をピッタリとしめて逃がさないようにして、学会本部前の広場は、妙信講の青年部に対する袋叩きの舞台になりました。
外に居た妙信講青年部員達が中で半殺しになりつつある仲間をすくおうとして、宣伝カーを門扉にぶつけてこじあけ、乱入したとき、消火器が宣伝カーのフロントガラスにぶつけられ、たちまち立ち往生させられました。そして、双方入りみだれての乱闘の中、学会青年部は、警官にまでなぐりかかるしまつ、乱闘の間中学会側リーダーが声をからして叫んでいたことは「殺すな!!」「殺すな!!」「ほどほどにいたみつけろ!!」というかけ声だったのですから、何をかいわんやであります。
この乱闘で、妙信講側は失神した者もふくめて重傷者数名、軽傷者は数十名に近かったでしょう。それに対し、学会側は寄りすぎてゲンコツの皮がむけた者が数名でした。
機動隊がかけつけたのは、二~三十分もしてからではなかったかと記憶していますが、この事件で、妙信講側は、全員逮捕、検挙で主だった者数名は逮捕され、罰金刑となりました。もちろん学会側は無きずであります。(中略)
警察はいつでも学会の味方でした。その裏で、大川(現参議院議員)、藤井、藤原、竜などの都議会議員の活躍があったことはいうまでもありません。謀略と政治の圧力で、被害者を加害者に仕立て、国家権力を利用して弾圧するというやり方は、創価学会の十八番でした。(中略)
この事件について、創価学会側が文書やくちこみで大々的に宣伝し、妙信講に対して、“暴力集団”のレッテルをはることに成功したことはいうまでもありません。
昨日の師・池田大作への手紙(「諸君!」昭和56年8月号)
いかがでしょうか。これが、世間が顕正会のことを「危険な団体」と誤解する一番初めのきっかけとなった「創価学会本部襲撃事件」(昭和49年)と呼ばれる出来事の真相です。顕正会は「襲撃」などしておらず、むしろ「被害者」だったのです。
「謀略と政治の圧力で、被害者を加害者に仕立て、国家権力を利用して弾圧するというやり方は、創価学会の十八番でした」との山崎の言葉には背筋がゾッとすると同時に怒りが込み上げてきます。
創価学会の秘密文書「K対策」
実は、創価学会には「K対策について」と称する“顕正会員が折伏に来たら、すぐに通報せよ”との趣旨が記載された秘密文書が存在するのです。「K」とは顕正会のことです。学会本部が密かに作成して全国の幹部に周知したものだそうです。
その秘密文書の存在が「顕正新聞」平成25年10月5号に写真付きで暴かれ、驚愕の内容が明らかとなりました。引用してみます。
「警察への通報について(K対策会議用)」
積極的に警察に通報してまいりたい。通報するガイドラインは以下のとおり。
〔想定されるケース〕強引な勧誘、執拗な電話・訪問、御本尊の持ち去り、その他悪質な迷惑行為。
〔通報に関して〕原則は被害を受けた本人、もしくはその家族が通報する。通報する場合、通報者は“教義上対立する立場からの通報”“感情的な通報”ではなく、あくまで一市民としての立場から、犯罪行為・迷惑行為に対する通報であることに留意する
要するに、教義上のことは一切論じない。折伏されたら、ただ「迷惑だ」「強要だ」「犯罪行為だ」といって、学会員の立場は隠して一市民の立場から、警察に通用せよ、と教えていたのです。
虚偽の告訴をして罰金刑を受けた女性学会員
たとえば、平成21年には「藤井」という女性学会員が「顕正会員数名によって入信を強要され、車に押し込まれ、逃げようとしたら『逃げんじやねえ』と言って暴行傷害を受けた」旨の被害届を出し、顕正会の千葉会館に家宅捜索が入りました。
ところが、供述調書を作成する段階になって、藤井は自身の供述に辻棲が合わなくなってしまい、沈黙し、泣き出し、ついには失神して救急車を呼ぶという騒ぎになりました。そして翌日の再調査において、藤井はついに「実はすべてが作り話です」と自白したのです。また、法廷では学会幹部と接触していたと証言したそうです。結局、藤井は罰金刑を宣告されました。
このように、不必要な通報や虚偽の告訴を行って警察を動かし、顕正会員の逮捕、会館の家宅捜索をさせ、それらの映像等をマスコミに垂れ流させるというのが、山崎正友の時代から変わらずに続いていた創価学会における「K(顕正会)対策」の基本方針だったといえるでしょう。
おわりに
ちなみに、創価学会は「弘安2年の御本尊は受持の対象にしない」という、“極限の大謗法”と言うべき教義改変を平成26年11月にしました。このことが1年2年と時が経過するにつれて末端の学会員にまで伝わった結果、現在では多数の脱会者を出す事態に発展するなど、組織内部がゴタゴタしている状態のようです。
そして、顕正会員が逮捕されたという報道は平成27年が最後であり、以後、現在に至るまで1件もありません。顕正会の折伏件数はむしろ年を追うごとに急激に増加しているにもかかわらずです。
これが一体何を意味しているのか・・・ここまで読んでくださった皆さんであれば容易に理解できることでしょう。