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日蓮大聖人の御遺命とは何か

 法華講員
法華講員

顕正会員から「宗門は御遺命を破壊した!」ってよく言われるけど、日蓮大聖人の「御遺命」って何だろう?よくわからないなぁ…

日蓮大聖人の御遺命=本門戒壇の建立

 日蓮大聖人の御遺命(遺された御命令)は、「本門戒壇の建立」です

 この大事を大聖人様は長い間胸中に秘しておられ、御入滅の弘安5年に至って、はじめて2つの御書にこのことを明示されました。1つは日興上人への一期弘法付嘱書(いちごうほうふぞくしょ)、もう1つは御付嘱状の助証として門下一同に与えられた三大秘法抄です。

 この本門戒壇の建立とは、単に建物を建てるというレベルのものではありません。まさしく本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本および世界を仏国とする秘術なのです

 では、この御遺命の本門戒壇は、いつ、どのような手続で、どこに建てられるべきなのでしょうか。

 実は、大聖人様は本門戒壇建立の条件を「一期弘法付嘱書」と「三大秘法抄」に厳重に定め給うておられるのです。今回はその内容をごく簡単に、ざっくりと確認してみましょう(詳細については別の記事で書きます)。

一期弘法付嘱書を拝する

 まず、一期弘法付嘱書を拝します。

一期弘法付嘱書の全文(重須本門寺・日耀の臨写)
一期弘法付嘱書の全文(重須本門寺・日耀の臨写)※顕正会公式サイトから引用

 「日蓮一期(いちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興に之(これ)を付嘱(ふぞく)す。本門弘通(ぐづう)の大導師たるべきなり。国主此(こ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事(じ)の戒法と謂(い)うは是れなり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり

 この中で、戒壇建立の条件として仰せられた国主此の法を立てらるれば」とは、日本全体が戒壇の大御本尊を信ずるようになり、その一国の総意が国家意志として表明される時、という意味です。大聖人様は、その時が来たら富士山に本門戒壇を建立せよと仰せられています。

 時を待つべきのみ」とは、時の来る前、すなわち広宣流布以前には、絶対に建ててはならないとの御誡めです

三大秘法抄を拝する

 次に、三大秘法抄を拝します。

 「戒壇とは、王法(おうぼう)仏法に冥(みょう)じ仏法王法に合(がっ)して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持(たも)ちて有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪(じょくあく)の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下(くだ)して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可(べ)き者か。時を待つべきのみ。事(じ)の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提(いちえんぶだい)の人・懺悔滅罪(ざんげめつざい)の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等も来下(らいげ)して蹋(ふ)み給うべき戒壇なり

 この三大秘法抄には、一期弘法付嘱書よりさらに具体的に、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」が示されています

戒壇を建立する「時」

 まず、どういう「時」が来たら建てるのかについての御教示は、「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」までの御文です。

 すなわち、国家が宗教の正邪にめざめて、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁してこれを尊崇守護し、天皇も、大臣も、国民も一同に本門戒壇の大本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るためには、有徳王・覚徳比丘の故事に示されるごとくの、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時、と仰せられています。

 大聖人様は「末法濁悪の未来」に、このような状況が必ず事実となると御断言され、このような時が来たら本門戒壇を建立せよと仰せられています。

戒壇を建立する「手続」

 ではどうやって建てるのでしょうか。その「手続」を示されたのが「勅宣並びに御教書を申し下して」との御文です。

 「勅宣」とは天皇の詔勅、「御教書」とは当時幕府の令書、今で言えば国会の議決そして閣議決定が当たります。つまり「勅宣並びに御教書」とは「国家意志の表明」であり、その具体的内容は、日本国が国家の命運を賭しても本門戒壇の大御本尊を守護し奉るとの意志表明であります

 仏国の実現には国家の帰依がなくては叶いません。一個人や一団体の帰依では日本国を仏国とすることはできないのです。だから大聖人様は「国家意志の表明」をその手続とせよと仰せられているのです。

 この「勅宣並びに御教書」すなわち「国家意志の表明」を戒壇建立の手続とするゆえに、御遺命の本門戒壇のことを富士大石寺では端的に「国立戒壇」と呼んできました

 要するに、「国立戒壇」の「国立」とは、国立大学や国立競技場の「国立」、すなわち「国が建てて管理する」という意味ではないのです。ここは多くの方が誤解しやすい点のため注意が必要です。

戒壇を建立する「場所」

 ではどこに建てるのでしょうか。その「場所」を示されたのが「霊山浄土に似たらん最勝の地」との御文です。

 一期弘法付嘱書を拝すればわかるように、この「最勝の地」とは富士山のことです。その中でも、二祖・日興上人は南麓の「天生原」(あもうがはら)と御定めになられています

 すなわち大石寺大坊棟札に云く、「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原(あもうがはら)に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」と。

 そして、この三大秘法抄にも一期弘法付嘱書と同じように、「時を待つべきのみ」と仰せられています。大聖人様は、戒壇建立の「時」が必ず来ると御断言されるとともに、「時」の来ないうちに建てることを厳禁されているのです。

 これで大聖人様の御遺命がどのようなものか、明々白々ですよね。

 広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に本門戒壇(国立戒壇)を建立することこそ、日蓮大聖人の御遺命なのです

ポイント
  • 日蓮大聖人の御遺命は「本門戒壇」を建立すること
  • 「本門戒壇」建立の条件は、大聖人様が「一期弘法付嘱書」と「三大秘法抄」に厳重に定め給うておられる
  • 富士大石寺では、広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される御遺命の「本門戒壇」のことを端的に「国立戒壇」と呼んできた

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