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「国立戒壇」の文証(冨士大石寺歴代上人)

法華講員
法華講員

「国立戒壇」は間違いよ。御住職がそう仰っていたわ。

 顕正会員
顕正会員

冨士大石寺歴代上人は、700年来異口同音に、顕正会と同じく広宣流布の暁の「国立戒壇」を叫び続けてきたのですよ。あなたは歴代上人が間違っていると、そう言うのですか?

法華講員
法華講員

歴代上人が「国立戒壇」を叫んでいた??そんなはずないわ!

歴代上人の文証を拝する

 「国立戒壇」建立の御遺命を奉じて700年来ただ一筋に戦ってきたのが正系門家・冨士大石寺の歴史です。今回は、冨士大石寺の歴代上人の御指南を拝してみましょう。

第二祖・日興上人

広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)

国主此の法を立てらるる時は、当国天母原(あもうがはら)に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札(たいぼうむなふだ))

第二十六世・日寛上人

(じ)の戒壇とは、すなわち富士山天生原(あもうがはら)に戒壇堂を建立するなり。御相承(ごそうじょう)を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)」

第三十一世・日因上人

国主此の法を持ち広宣流布御願(ぎょがん)成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状(ごゆいじょう)の面(おもて)に分明(ふんみょう)なり

第三十七世・日琫上人

仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては富士山の麓(ふもと)・天生原に戒壇堂造立あって……」(御宝蔵説法本)

第四八世・日量上人

(じ)の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)

第五十六世・日応上人

上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを(じ)広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の(ふもと)に天生ヶ原と申す曠々(こうこう)たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって……」(御宝蔵説法本)

法華講員
法華講員

た、たしかに、どの御指南も国家的な戒壇建立を目指しているように読めるけど、「国立戒壇」との文言はどこにもないわ!

顕正会員
顕正会員

それでは「国立戒壇」との文言があるのを紹介しますね♪

法華講員
法華講員

(えっ!あるの?どうしましょう…)

日淳上人、日昇上人、日亨上人 ※顕正会公式サイトから引用

第五十九世・日亨上人

宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)

唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事(じ)の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

第六十四世・日昇上人

国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並に御教書を申し下して建立する所の戒壇なり』と。之れは是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり」(奉安殿慶讃文)

第六十五世・日淳上人

蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを(じ)戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

この元朝(がんちょう)勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札(たいぼうむなふだ)に『修理(すり)を加え、丑寅(うしとら)の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮・昭和34 年1 月号)

顕正会員
顕正会員

えっと、まだ続けますか??

法華講員
法華講員

も、もう勘弁して!あなたの言いたいことはよくわかったから…

細井日達・池田大作もかつては国立戒壇の正義を述べていた

細井日達(第六十六代管長)

 創価学会に迎合して「国立戒壇」を否定した細井日達管長ですら、登座直後においては歴代上人と同じく、御遺命の正義を次のように述べていました。

「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)

「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮・昭和35年1月号)

「事(じ)の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮・昭和36年5月号)

池田大作(創価学会第三代会長)

 御遺命破壊の元凶たる池田大作ですら、かつては、

「『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華五十六号)

国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と言い切っていました。

まとめ

 以上、歴代上人の御指南等を拝すれば、血脈付法の正師にして「国立戒壇」建立を熱願されなかったかたは、700年間一人としておられないことがよくわかると思います。

 しかしながら、日蓮正宗は、あろうことか創価学会・池田大作の金力・権力に屈し、この大事な「国立戒壇」建立という御遺命を公式に否定・放棄する決定をしてしまったのです。

 次回は、当時の池田大作の権力の強大さについてまとめてみたいと思います。

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